日本人はなぜ自習室を使うのか

投稿日時:2017/01/17(火) 10:53

 去年の10月に慶応大学理工学部システムデザイン工学科の学生から問い合わせ電話があった。「お一人様空間」ビジネスの空間的特徴をテーマに卒論を書くのでフィールドワークに協力してほしいという。具体的には自習室の図面を提供し、写真を撮らせてほしいとのことだった。
 ソレイユのような空間をレンタルする事業者にとって、店舗のレイアウト図面は、おおげさに言えば戦国武将にとっての城の図面のようなものであり、協力するかどうか随分迷った。自習室にとって図面はノウハウでもあるのだ。実際に今回の調査では、ソレイユ以外の同業他社から断られたという。
 十中八九お断りする腹づもりで、とにかく面談して話を聞くことにした。
 
 慶応大学のH君と面談し、話を聞いて、結論的にフィールドワークに協力させていただくことにした。図面も提供し、室内の撮影も許可した。
 協力することにした理由は、ひとつには、H君が研究テーマについてきちんとわかりやすい説明を行い、質問にも丁寧に回答、卒論にまじめに取り組んでいる様子がうかがえ好感が持てたこと。また調査を依頼するにあたっての「礼節」もきちっとしていた。

 もう一つの理由は、自習室をはじめとする「お一人様空間」というマイナーなビジネスを研究のテーマに取り上げていただいたことは、見方を変えれば有難い話だと考え、この分野の研究の発展に多少とも役立てばとの思いからである。
 なお今回のテーマについては、2006年にH君の指導教官の慶応大学のアルマザン教授が"Tokyo Pubulic Space Networks at the Intersection of the Commercial and the Domestic Realms Study on Dividual Space″というタイトルの論文を発表しており、H君の論文はこれを今日的に見直すものだという。
 
 ところでH君によれば、自習室を含めたお一人様空間ビジネスについては、日本を含む東アジアに特有なもので、欧米では余りみられないという。(日本以外の東アジアの例では、私自身10年ほど前、韓国人のソレイユ利用者から、「韓国では自習室がかなり進んでいて深夜2時までやってて送迎バスがつく」とか、「自分の勉強した時間数のデータをレシートのような形で提供してくれる」とかの話を聞いたことがある。)

 そこで自習室管理人の体験的実感をもとになぜ日本人は自習室を使うのかということについて考えてみた。

 第一の理由は、日本人は自習室という「外」の環境に身を置くことで、自己をコントロールがしやすくなり、ほどよい緊張感から集中力も増し、長時間の勉強を効率よくできるのではないかということである。

 利用者の声でよくあるのが、「家ではつい気が散ってしまう」「家では勉強ができない」というものである。
 精神科医の土居建郎は、古典的な名著『「甘え」の構造』では、「遠慮の有無」が「日本人が内と外という言葉で人間関係を区別する目安となる」(土居建郎 『「甘え」の構造』 弘文堂P.38)とし、「内」では遠慮がなくなり、「外」では遠慮が働き「自制する」と指摘している。
 ただ土居は、遠慮が働かない「内」と遠慮・自制が働く「中間帯」(前掲書P.39)的外と、さらにその外側に旅の恥は掻き捨て的な「遠慮を働かす必要がない他人の世界」(前掲書P.39)があると言っている。この分類で言えば自習室は、「中間帯」的外ということであろう。

 第二の理由は、日本人は、物理的空間としては完全個室ではない、自習室のような半ばオープンな半個室空間の共同利用を社会的文化的に受容するのではないのかということである。
 自習室ソレイユの場合、座席はパーテーションで左右の座席と仕切られたスタンダードなタイプの席とパーテーションで左右を仕切り、背後にカーテンが付いているカーテン付個室タイプ席がある(その他横並びでない配置の席などバリエーションあり)。シンプルなコの字型の構造であるが、隣との視野がパーテーションで遮断されることにより、集中力が増し、勉強の効率がアップする。
 ただ物理的な空間としては完全個室ではない。しかし完全個室になっていないことにより勉強や仕事の集中力が鈍るという話は聞かれない。むしろ異なった目標に向かってそれぞれが勉強に励む姿・気配が励みになるとの利用者の声を聞くことは間々ある。
 「西洋の住まいが、家族内部でも個人を分離して扱ってきたのに対して、日本の住まいにおける障子や襖は、外界とつながりながら遮断する装置として機能してきた」(南後由和「特集 日本のおひとりさま空間」『建築雑誌』2015.1P.5)という。
 そういえばパーテーションやカーテンで仕切られた自習室の空間は、屏風や几帳・御簾で仕切られた源氏物語絵巻のたたずまいを想起させなくもない。
 日本に自習室が定着しつつあるとすれば、その理由のひとつとして、日本人には自習室の半ばオープンな空間の共同利用が自然に馴染む、苦にならないということがあるのではないであろうか。